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2013年8月26日月曜日

ブロックがはずれる夢の続き

こんにちは、あべけいこです。

「また明日書きます」と書いてから早2週間・・・。

ご無沙汰してしまいました!!!

すみません・・・。


書きたいな~と思うことが、本当にたくさんあるのに、どんどん日にちが過ぎていって、「何を書きたかったんだっけ??」と、もう過ぎ去ったことはすぐ忘れてしまって・・・。

毎日これからは書きたいな(希望)。


いや、でも、ここ2週間でもブロックがどんどんはずれて、いろいろと新しい状況になっております。

気づきもたくさん。

メッセージもたくさん・・・。

私もさらに変化していっていて、毎日ブログを更新できる日も間近かも!?

意味わかりませんね・・・。

書けばいいだけだって。

まあ、このあたりのことはおいおい。


ともあれ、前回のブログの続きを書きます。

予告だけで引っ張りすぎだって。


「ブロックがはずれる夢」について。

「ブロックがはずれる夢」とは?

それは、過去世の体験で、現世のトラウマや恐れ、ブロックとして残っているエネルギーが解放されるときに見る夢です。

そんな定義はないのですが、私の場合、そのような体験をしばしばするので、勝手にそう名付けました。

なんでブロックがはずれる夢とわかるか??

それは・・・

1)とってもリアル 

2)明らかに今より時代が古く、なおかつ恐ろしい体験 

3)「ぎゃー!!!」という、心臓が凍る体験をした瞬間に飛び起きる(このパターンでないこともあります)

4)その体験から思い起こされる、自分の変えたかったところ、「なぜこうしてしまうんだ?」とこれまで不思議に思っていた部分がある

などから。

ブロックが外れる夢には、この4つが必ず含まれているんですね。

そして、朝起きた瞬間、わかる。

あ、このパターン、ブロックが外れる夢だ、と。


「あ!この夢は!」と思った瞬間、考えます。

「ブロック外れるようなこと何かあったっけ??」

考えると、100%、エネルギー的に何かやってます。

前日もしくは数日前に。

「あ~、あれやったからだ。効いたわ」みたいな。

まず多いの、クレッグさんね。

セッション、もしくはセミナーに行って、ブロック解除してもらっていたとか。

穴口恵子さんの遠隔ヒーリングでも、受けた翌朝、ブロックが外れる夢をみたことがあります。

あとは、最近ではHRTね。

ヘミシンクでもあるかなあ・・・。


クレッグさんは、「ヒーリングのグローブをエネルギーに置く」というヒーリング方法もされていますが、これをしてもらったあとにブロックが外れる夢を立て続けに見たことがあります。

以前、セミナーで参加者のブロックをはずしてくれたとき、私が緊張してしまったことがあって、そのときにクレッグさんは私のエネルギーの上にヒーリンググローブを置いてくれました(あとで聞いたところによると)。

ゆっくり私のタイミングで時間をかけてブロックを解除するように、という意味合いだったそう。

その後、3日間連続で悪夢を見て飛び起きたんですね~。

これがまさにブロックがはずれる夢だったんですね。

過去のブログに、過去世でなく子供の頃の体験のブロックがはずれる夢についても書いてましたね→コチラ



前置きが長くなりましたが、今回のブロックがはずれる夢とは・・・。

中東、イスラム圏のどこか(夢の中で(確か)リヤドという都市が出てきたので、サウジアラビアかもしれれません)で、私は13歳くらいの少女でした。

寮なのか、宗教施設なのか、収容所なのか、そんなところで同じような年頃の子供たちと寝起きを共にしていました。

1部屋に2人。

私と相部屋の女の子と、あとは男の子2名か3名(これは同じ施設の別の男子寮のようなところから来たようなイメージ)、たぶん5人で、大人から説明を受けています。

ここを卒業していく。

人間の肉体はなくなるが、神と一体になる。

それは素晴らしいことで、光栄なことである。

そんなような話。

私は、自分の肉体が消滅して神と一体になるってどういうことなんだろう?どんな体験なんだろう?と想像してみるが、まったく想像がつかない。

大人は「素晴らしいこと」のように言っているが、そしてほかの子たちは当たり前のように聞いているが、私は怖い。

「その瞬間」を想像するだけで恐ろしい気持ちになる。

―これはおそらく、神のために身をささげて死ぬこと=殉教すべきときが来て、その説明を受けているシーンと思われます―

その後、自分たちの部屋の荷物を整理している。

ここを出ていく=殉教するので、何もかもないように綺麗に。

ひと抱えの荷物だけ持って、ほかの部屋の子とお別れをする。

「ああ、卒業なんだ・・」という感じでほかの子たちは悲しむでもなく別れを告げる。

私と同室の子は、ひと抱えの荷物を持って、目配せをし合ってそこからの脱出を試みる。

平静を装って、指示された場所に行くふりをして歩き出して、宿舎から出ていく人の波にまぎれてすーっと出ていく。

通りに出て、逃げるには、右に行くか、左に行くか??迷う。

一番近い大きな街はリヤド、それは右(あるいは左)、その反対方面には○○という街(聞いたことのない街で忘れた)。

とりあえず、右に折れて道を歩き出す。

平静な顔で、逃げ出したことがばれないように。

早く、早く、気付かれないうちになるべく遠くまで行かなきゃ・・・。

道の途中、茶屋のような店があって、そこに入る。

追っ手の人は来ないだろうか??ばれないだろうか、逃げてきたことが??

不安になりながらも、平静を装って茶を飲む、二人で。

どうしよう、逃げ切れるだろうか、お金もないのに、歩いていくしかない、この砂漠のような砂埃だらけの道を・・・。


見つからないか焦って、どきどきしながら逃げている、その不安とはやる気持ちを抱えたまま目を覚ましました。

あああ~・・・。

ドキドキドキ・・・。

深呼吸・・・。


夢はこれで終わりでしたが、おそらく逃げ切れなかったのでしょう。

追手に見つかって捕らえられ、連れ戻されて、結局恐怖に打ち震えながら死んだのだろうなと思います。

一緒にいた子は、元スタッフのSさんでした。

私がいた施設が何なのかわかりません。

身寄りのない子供たちが集められている場所なのか・・・。

あるいは、クレッグさんが「レイプされて施設に送られた」と言っていた施設なのか。

イスラム圏では、レイプされると女性が罰せられるようですね。

いまだに、若い女性がレイプされて罪に問われて石打ちの刑で殺された、なんてニュースをときどき目にします。

レイプさせるように仕向けた女が悪い、なのか、男を誘惑する悪魔が乗り移っているから退治する、なのか・・・そういうことらしいです。

クレッグさんが「レイプされて施設に」と言ったとき、「なぜに?レイプされた側が?」と思ったのですが、イスラム圏ならさもありなん。


そして、私の中に根強く“自由へのこだわり”というものがあります。

とにかく強く「自由でいたい!」と思うのです。

自由でいることに執着というか、固執して、それがゆえに、前の結婚でもその前の結婚でも、夫に養ってもらわなかったからな・・・。

なんか、お金を出してもらうと、自由に好き勝手できなくなるような気がして。

完全に自分の自由を確保したいがゆえに、仕事に走って金稼がなきゃ!と思っていて、一銭も生活費もらいませんでしたね、お小遣いも・・・。

結婚しても、車に乗って、夜中でも朝方でも好きなときに好きなところに行ける自分サイコー!と思って、びゅんびゅん一人でドライブしてたり・・・。

そのとき思うことは「私は自由だ!」でした。

これは、おそらく、置き屋の娘だったときの囚われの身の過去世の影響もあるのでしょうね。

ほかの過去世でもそういうことがあったのかなあ。

とにかく、このブロック外れる夢からは、何か支配や囚われることに対する恐れを感じました。


「自由でいたい!」と思うことは、それほど大きなブロックではないように感じますよね。

この「自由でいたい!」という思いと同時に、自由になりきれない自分がいたのかなと思いました。

「こうすべき」「こうしなくちゃいけない」という、無意識のうちに、何かに従おうとする自分。

不自由だからこそ、それに抗うために自由にこだわっている。

でも結局、自由になりきれていない・・・。


このブロックが外れる夢と関連してるのかなあ?

最近、「ん?変わった??」と思うことがありました。

それは「好きに生きていいんだ」と思ったこと。

もちろん、好きに生きているのですが・・・なんというか、好きに生きているはずなのに、どこか「やらされてる感」がいつもあったのです。

「ああ~、あの仕事いつまでにやらなくちゃ・・」とか「もうライター仕事完全に辞めたいのに、そうもいかないしなあ」とかぶちぶち思っている。

だいたいいつも、ああ~、完全に自由になりたい・・・何ものにもとらわれたくない・・・と思っている。

ふとそのとき、「誰もやらせてないよ?」「自分で選んでるんでしょ?」という思いが降りてきて。

あれ?「確かに!」と、妙に納得。

そうだ、誰も強制してなかった・・・。

勝手に自分で選んで、自分で決めつけて、「こうしなきゃ生きれない」って思いこんでいただけだった・・・。

自分で自分を殻に閉じめていただけだったって。

「ああ、やめていいんだ」「この生活選んでいるのは私で、選ばなくてもいいんだ」「どう生きてもいいんだ」って、またもや本当に当たり前のことなのですが、そんな気持ちになったのでした。


それって、なんというか「受動的」な自分、でした。

「こうすべきだからこう“させられている”」みたいな。

自分で選んでいるのではなく、選ばされている。

こうしたいからするのでなく、すべきだからしている。

こんな風に生きたいでなく、こう生きるべきだからこの生き方を選んでいる。

無意識で、気がつかなかったのだけど・・・。


この考え方のクセは、ある朝突然、気がついたことでもあります。

トイレに入りながら「ねえガイド、私のすべきことってなに?」と聞いてたんですね。

私はどう生きるべきなのか・・・。

ヒーラーなのか、ライフアップコーチなのか、作家なのか・・・どれなの、教えて?みたいな。

そのとき「は!」と。

「どう生きるべき、でなく、どう生きたい、でいいんじゃない?」と突然ひらめいた。

作家になりたいならなればいいし、小説家目指したいなら目指せばいいし、何か「決まっている未来を教えて?」という気持ちにいつもなってたけど、「どこの未来に行きたいんですか?」という話じゃないかと。

そう考えたら嬉しくなって「そうだ、どう生きてもいいんだ!どう生きるべき、じゃなくて、どう生きたい?」だ。

「じゃあ、作家になる!私はやっぱり作家になりたいし、小説書きたい!」と。

誰も制限してなかったのに・・・。

なんか、「ヒーラーなのかな?」みたいな、決定権人任せみたいな・・・。

すでに未来が決まっていて、「ふーん、こうなるのか」と思ったらそれに合わせる、みたいな感じでした、いつも。

すごく受動的。

そうである限り、100%満足のいく、「これだ!!」「生きてきてよかった!!」という人生を送れないんだ、結局。

それに気がつきました。

100%の生き方をするには「すべき」じゃなく「したい」なんだ。

受動的でなく、能動的。

すると、枠がなくて、どんどん大きく広がっていける。

「したい」という純粋な思いはエネルギーがにごらないから、どんどんまっすぐ広がる。

それが、豊かで幸せで満たされた、自分を満足させる未来を創るんだなって。

なんか、そんなふうに気づいたのでした。


いつも、コラムとかブログでは「自由でいいのです」とか「べきでなく」とか言ってるわりに、自分がとらわれてました~(汗)。

まだまだこのエリアのブロックは残っていそうだけど、粛々と取り組み、完全に自由になるわ!!


ブロックが外れた夢からなんか離れてしまいましたが・・・。

今日はそんな感じでした~。


そして、予告をしても無意味なので、するのをやめます。

(自由だ!)

また書きます~。書きたいときに!

ではでは~^^